ふるさと~ボトルレターのあて先 [音楽・映画]
さっき、松任谷由実の曲、「瞳をとじて」にまつわるいくつかのエピソード、特集をNHKで放送したのを
たまたまみていたんですが、これをみていて、このところ、じぶんの故郷のことを考える機会が多くて
いろいろ、考えてしまいました。
2年ほど前、あることがきっかけで、ながらくおとづれなかった神社へいくことになり、
その神社の入り口付近から続く「もう50年くらい前、父の釣りへついていった場所」に
つながる細い道に立ち入り禁止のタテカンがあるのに気がつきました。
父との思い出のあの場所に行くことが出来なくなってたんです。
ほんと、たまたまだったんですけど
もう、あの場所はあの場所じゃないと知らされました。
いつのまにか、この町は私や、多分うちの母や、
この町を出て行った人たちの知っている町ではなくなってしまっています。
小学校は、姿も名前も変え、昔の姿ではなくなり、
小学校のさくらは半分以上なくなり、松林もなくなり、
家々はつぶされ、町並みは変わり、
海の姿も変わり、建物も変わり、削られ潰され、道が通されて
でも、人口はゴキゴキ減少していって、交通の便はかえって不便になり
めまぐるしい速さで、この町は入れ歯のない年寄りの歯のようになり
あじわいのない、簡素な町へ変貌を遂げていっています。
ひとも、多分、むかしのような 牧歌的余裕に乏しくなってるような気がします。
なにより、あのころの、私の心に思い浮かぶひとたちは あの世にいってしまってます。
さみしさと わびしさのなかで、ボトルレターを出すとしたら
いったい、私はだれにあてて書くんでしょうか。
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